にはにはには丹羽長秀

文学部女子によるふわっとした就活ブログ。英語の話とか大学の話とかもします。

「自己評価が高い」ということ ~私の友人を例として~

自分で選んだというより何か見えない力に振り回された結果こうなったような気がしているのですが、とにかく今私はいくつかの分野に首を突っ込み、それぞれで交友関係を持っています。

高校と大学で交友関係が一新されてしまったので誰も信じてくれないのですが、高校時代はこんなに色々な分野に手を出したりなんてしていませんでした。

 

とにかくそういうわけで、インドア派のつもりなのに知り合いばかりやたらと多いのですが、今日一緒にお茶した友人(Aとしましょう)に、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみました。

Aとの付き合いはそれなりに長いのですが、思い悩んだりネガティブになっているのを見たことがありません。つまり、物凄く前向きなのです。

 

この1週間、私は「自己評価が低い」という言葉に悩んでいました。これは就職課の先生に言われたことですが、正直意味が分からず、むしろ言われたことの意味が分からないせいで自己嫌悪に陥っていました。

私が思うに、そもそも自己嫌悪に陥る人間はそれなりに自己評価が高いのではないでしょうか。もし自分を全く評価していなければ、自分に何かを期待することもないわけで、自己嫌悪に陥ることもないからです。

そして私がこういったことで悩んでいるということは、Aにも伝えてありました。

 

それまで全く違う話をしていたんのですが、ふとそのことを思い出した私は唐突に「Aは自分が嫌いになったりすることはないかい」と尋ねました。するとAは全く悩むそぶりも見せず、「いや、ないね」。

 

Aは、愛想のある顔立ちをしていますが取り立てて端麗というわけでもなく、学力・体力ともにそれなりであるものの、単純な成績でいえば私と五十歩百歩といったところ。そもそも私達のいる大学自体あまりぱっとしないので、社会的に見てAが特別優れた大学生とは必ずしも言えません。

 

その後も、色々尋ねてみました。

 

「朝、鏡を見て、なんだかうんざりすることは?」

「ああ、昨日は寝癖がひどくて困ったよ」

 

「じゃあ……悪い成績をとったことはないの?」

「あるよ。単位を落としたこともある」

「落ち込んだりはしないの?」

「次は同じミスをしないようにしようとは思うね」

 

「他人に迷惑をかけていると思ったことはある?」

「ないかな」

 

「誰か友達と一緒にいる時、『この子もほかに友達がいるだろうに、自分のために時間を割いてもらって申し訳ない』とか思ったりしないの?」

「むしろ……何故そう思う必要がある?」

 

色々敢えてネガティブな質問をしても、Aの回答はだいたいこんな感じでした。

このままでは埒が明かないと考えた私は最後にひとつ、禅定に入った釈迦の前に現れたマーラか、荒野でキリストを誘惑した悪魔のような気分で質問をぶつけました。

 

「Aには悩みはないの?」

 

しばしの沈黙。そして――

 

「ああ、そうだな。悩みが浮かばないのが悩みかもしれない」

 

――と、いやに深刻そうな顔で言ったのでした。

 

正直なところ私はAの精神状態が全く理出来ませんし、きっとAもAで私の悩みを理解する日は来ないのだろうと思うのですが、とにかく自己評価が高いというのはこういうことなのだろうということは分かりました。

 

同い年のAと私で何が違うのかと考えた時、勿論色々と事情は違うのですが、最大の要因として(これまた私の知る限り)Aは燃え盛るほどの自己嫌悪、つまり頭が真っ白になるほどの大挫折をしたことがないのではないからこんな悠長な心持で得られるのではないだろうかと考えました。

Aはある学校を物心つく前からエレベーターで上がってきて、大学入学に至って自分の望みの学科がその学校になかったために指定校推薦で私のいる大学にやってきた人です。

一方私は高校まで公立学校に進み、高校入試も大学入試も第一志望に落ちて、周囲から失望された経験を2回しています。特に大学入試ではA判定の大学に不合格で、首の皮一枚つながって今の大学にやってきました。別に神童と崇められていたわけではありませんが、同級生や担任の先生の冷たい目が忘れられません。

そして何より、自分はきっと今度こそ第一志望に行けると信じていたのに、夢が全くかなわなかったという絶望感――そして、それでも(再受験したり仮面浪人する程のお金は我が家にはないので)合格したこの大学でやっていかなければならないという悲しさが、今でも強く記憶に残っています。まさに悲惨な気分でした。

 

学歴コンプレックスに浸って、何もない空虚な4年間を過ごすようではそれこそいけないと思って今日まで前向きに努力してきましたが、根のところでAには絶対に勝てないのではないか――ふとそんな気がしました。

とにかく、自己評価が高いと言うのがいったいどういう意味なのかが分かったので、良しとしましょう。