将来設計のこと
今朝、脳科学者の茂木健一郎さんがTweetしておられましたが、オスカー・ワイルドの言っているレベルではないにせよ、私が寝込む直前、ちょっと自分の人生観を揺るがす可能性がありそうな出来事がありました。
オスカー・ワイルドは、『獄中記』(De Profundis)の中で、こう書いている。「銀行員」になるのが目的の人は、銀行に入ったらそこで止まる。「法律家」になるのが目的の人は、法律家になったらそこで止まる。しかし、「自分」になるのが目的の人は、どこにいくかわからない。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 12月 25
話そのものは単純で、ボランティア先の人から、アメリカ留学を勧められた、というだけです。
私はよく国際系の仕事が向いていると周囲の大人たち(先生、ボランティアの仲間、両親etc.)から言われるのですが、そのためにも語学修行をすべきだ、と。
大学で最も親しい友人(英文学系)もTESOLを学ぶためにアメリカの大学院に進学するとかいって、もう進学先の選定に入ったようですが、私も多少根無し草根性があるので、万が一就活がうまくいかなかったら考えてみよう、とは思います。大学入試の時も、全滅したらバイオリン職人になろうとか考えてましたし。
そういえば現に先輩でも大学を事実上ドロップアウトしてNYCに旅立った人がいます。……勿論私はここまで来たので、日本で学位を取ってから飛び立ちたいとは思っていますが。
しかし、仮にそんな"海外逃亡"なんてしなくても、就職した後のことをあまり考えていないなぁということに気づきました。
海外留学は漠然とした夢でしたが、何せ英語力が低いので、考えないようにしていました。ところが第三者からこのようにやたらめったら勧められると、否応なしにそれが自分の夢だったと思い出してしまうのです。
じゃあ、もしどこかに就職したとしたら、この留学の夢はどこへ消えるのでしょうか。
大学時代のこれまで3年間、私は大学生活における複数の夢を捨てきれず、結局ほぼ全てやってみるという暴挙に出ました。バイトもサークルもやってみましたし、ボランティアも留学も放浪じみた旅行もやってみました。
勿論今首を痛めてボランティアを休んでいるように、すべてが順風満帆ではなく、よそ様にご迷惑をかけてしまったこともありましたが、夢を捨てるよりかは、全てを両立する方法を考えて、多少過酷でもそれを実行する方がよっぽど心が痛まないと思ったからですし、実際にその通りだったと思います。
勿論、高校入試や大学入試では、志望校に落ちるという形で「○○高校に進学するぞ!」みたいなタイプの夢は諦めざるをえなかったこともありますが、自ら夢を諦めたことはありませんでした。
今、考えるべきは就活のことですが、それと同じかそれ以上に将来設計のことも重要だと思います。というか、将来設計を考えてはじめて目の前の就職活動が出来るのではないでしょうか。
大学入学時、とりあえず履修を組むうえで、私は4年間の計画を全て立てました。実際にはその通りには進まず、元の計画とはだいぶ違うこともしていますが、ともかくなにがしかの計画を立ててみる価値はありそうです。