にはにはには丹羽長秀

文学部女子によるふわっとした就活ブログ。英語の話とか大学の話とかもします。

文学部に光あれ

こんな記事を見つけて戦々恐々しています。

 


文学部は本当に就職に弱いのか?(前) - 「会社がわたしに合わせろ! 」と思ってしまうところは…ある | マイナビニュース

 

インタビューを受けているトミヤマ先生は学部が法学で、大学院で文学に移った方。先生曰く、法学部は

とにかく客観的でフラットな視座を獲得することを求められます。たとえば法学部では、模擬裁判をやることがあります。いわゆるロールプレイですね。原告、被告、裁判官、それぞれの立場になって考えなくてはならない。自分がどの立場になるかは、授業内容によって変わりますし、自分で選ぶことができない場合もあります。ですから、自分の主義主張はとりあえず置いておいて、“役割”に徹しなければならないわけです。弁護士の役割に徹するのであれば、助けを求めてきたクライアントのニーズに応えることが最優先になります。たとえクライアントがとんでもない犯罪者であってもです。極論すれば、自分なんてどうでもよくて、誰かの役に立つにはどうすればよいかを学ぶところ、それが法学部なんです。

なのだそう。

 

一方我々文学部は

他者の話に耳を傾けることは重要だが、それよりも自分の軸がぶれていないことのほうがもっと重要だ、という考えがとても根強い。法学部では"自分なんてどうでもよい"だったのが、文学部では"自分ありき"なんです。他人は二の次(笑)。法学部の学生は、与えられた状況に自分を合わせることに慣れています。それは、就職活動に向けて自分の考えを調整できることを意味しています。あるいは調整なんかしなくても、既に企業になじむ考え方が刷り込まれているとも言える。だから就職に有利な面はあるように思います。

その点、文学部生は自分の感性を大切にする環境で学んでいるので、良くも悪くも自分の軸がしっかりしていて、就活の場で『自分は個性的で、ゆえに貴重な人材だ』というアピールに終始してしまうことがあります。自信過剰な学生になると会社がわたしに合わせればいい! わたしに合うポジションを用意しろ! という姿勢になってしまう(笑)。

なのだそう。興味深い考察です。

 

凄く意地悪で悪意アリアリの言い方をすれば、「文学部は協調性がなく、法学部のように他者や社会のためというより自分のために生きているワガママな奴らだから就職できない」というわけですね。

正直読んでいてちょっとイラッとしましたが、文学部のくだりは真実だと思います。法学部には在籍したことがないので、果たして法学部が自分の意見を何も持っていないのかについては言及を控えますが。

 

ただ、大学院の文学部(正確に言えば文学研究科の類)というのは、良くも悪くも我々とはちょっと違う生き物です。これまた超悪い言い方をすると、文学部が外来だとすれば、文学研究科はまさに入院。

文学部として時代錯誤な選択をしているという自覚はありますが、それでも大学院生に比べればまだなんとかなるかなとか思っています、正直。

 

加えて言うなら、文学部にも色々な学科があります。伝統的な日本文学や哲学みたいな"王道”から、観光学に近いようなところまでひっくるめて文学部の範疇になっていることがあるので、一概に文学部と言っても、みんながみんな読書感想文を書いているわけではありません。……ま、私は読書感想文側ですが(笑)

 

この話はどうも続きがあるようなので楽しみです。

 


【文学部生必見?】経済学部でないと就職って不利なの…?|就活サイト【ONE CAREER】

 

関連するのかしないのか、今度は経済学部と比較です。この記事は正直オチがないような感じなのですが、個々としては面白いことが書いてあります。

 

 それではなぜ文学部の就職は悪いのか? 答えは簡単で「就職に興味のない奴らが集まっているから」就職状況が悪いのです。「企業社会なんてバカらしい」「カネや経済に興味を持つのはあさましいこと」「サラリーマンは社畜・奴隷、JOB IS SHIT!!」「リーマンショックで資本主義は死んだ」「サラリーマンどもの教養のなさにビックリした、こんな奴らにコキつかわれるなら死んだ方がマシ」などと、まぁこれらは極端すぎますが、口には出さずともなかば本気で考えている奴らが意外と多くいるところ、それが文学部です。

 

これもなかなか的を射ていると思いました。うちの文学部でも、上位層は確かにこんな感じ。だいたいの場合学者志望です。

ただ、私も含めた中下位の場合、「国語が好きだから」「英語が好きだから」「歴史が好きだから」みたいなごく単純な理由で進学してしまった人が多く、社会情勢がどうなっているのかとか、日本経済がどんな状態だとか、そういったことに異様に疎い人も多いです。学校の先生を目指す例もありますが、大学入学の時点で時が止まっている人もたくさんいます。だいたいこういうタイプの人は教養らしい教養は持っていません。

 

単に、ここしか受からなかったからといったような事情で
文学部に行かれたのなら、間違いなく不利でしょう。
でも、英和、自由に訳せます。とか、
シェークスピアが好きで、作品を全部そらんじることが出来ますとかといった
強い部分があったら、それは逆に強力な武器になるはずです。

この文章には違和感。

最近は大学も文学部の就職率が低く、人気が低迷しているということを理解しはじめているようで、謙遜を欠ける言い方ですが、歴史の浅い大学にはあまり文学部がありません(そしておおむね「実学重視」と言っています)。私自身、地元に大学はたくさんあったのに文学部はひとつもなくて、泣く泣く都会に通うようになったという経緯があります。

 

それと、シェークスピアの作品を暗記した人材が欲しいかと言われると、かなり微妙だと思います。

大学に入学した頃、教授から「本に書いていること本を持ってくれば分かる。君たちが学ぶべきは本に書いていないこと、考える力だ」と言われました。教授なんて人たちは一般的な就活は経験していないので、これから就活せんという私にこの言葉にどれほどの意味があるかは微妙ですが、シェークスピアの作品を暗記するよりかは大事なものがある気はします。でもまあ、シェークスピアの作品を暗記するぐらいでしたら、それなりの英語力はあると思いますが。

 

余談ですが、私はラテン語叙事詩の一節を暗記しています(勿論原語で)。

ただこれが役立ったことはいまのところありませんし、これが役立つ企業も少ないと思います。

 

 

余談ですが、私はちょっと法学部に恨みがあります。

友人に法学部が何人かいるのですが、数人に「文学部に入学したかった」とか「お前はいいよな、文学部だから好きな勉強が出来て」とか言われるんです。なんなんでしょう、彼ら。

 

人生のなかで、大学に行くチャンスは1回とは限りません。

でも、有り余る体力があり、しかも働かずとも後ろ指刺されず、全力で研究が出来る時期は今しかないと思い、私は「最初に学ぶ学問」として文学部のある学問を選びました。

……いや、だからこそ就職に絡むこの大学生活における学問として文学部を選ぶ必要はなかったのかもしれないというような気もしています。正直。